「DXの世界に行ってみたい?」
マルスは思わず言われた事を繰り返した。間髪入れず「そう!」とピットが応える。
「この中であっちの世界を一番知ってるのはアンタだから聞きにきた。」
アイクの端的な説明を受け、マルスはうーんと唸りながら腕を組む。
「別に向こうの世界が今はない訳ではないから行けると思うけど…マスターに相談してみる?」
「相談しよう!そうしよう!」
嬉々として言うピットを先頭に残り二人もマスターハンドの元へ向かった。


「良いですよ。少しなら。」
自身の身体である手で『少し』と表現してみせる。
「やった!」
「ただし、混乱を避ける為、向こうの人には見つからないように。」
「えぇー!!」
「我慢してください。」
ぶぅぶぅと文句を垂れるピットを手の平で受け止め、人差し指で器用に頭を撫でる。。
子供をあやすようにしながら、ふと気がついたようにマルスの方を向いた。
「マルス、貴方もですか?」
「子守のつもりで行ってきますよ。」
「そうですか……では貴方は特に、気をつけて。」
「………。分かってますよ。」

含みはあるが止めはしない。その言い方がマルスには皮肉に聞こえた。


「何だお前、なんかやらかした事があるのか?」
「人を前科持ちみたいに言うのはやめてくれる?それより、これ持ってよ。」
ずいと突き出されたのは大きな風呂敷包だった。
「なんだこれ。」
「スパイクローク。マスターからのプレゼント。着ればしばらく姿を隠せる。向こうに着いたら全員一着ずつ着るからね。」
「へぇ、そんなものがあるのか。」
「こっちにはないけどね、向こうの世界にあったものさ。」
この時アイクはマルスの思いなど露知らず、こいつに相談して正解だったと思うのだった。


マスターハンドが用意した大仰なゲートをくぐると、辺りの景色が目まぐるしく変化した。
まばゆい光に思わず目を閉じると、次に開けた時には別の世界だった。
「これがDXの世界!すっご〜〜…いかと思ったけどあんまり変わらないね。」
「……そうかもしれないな。」
はしゃぐピットとは対照的にマルスの声は静かにだった。
キョロキョロと辺りを見回していたアイクが呟いた。
「ふむ…どこを見に行くのがいいんだ?」
「そうだなぁ……この世界にしかない所とか言ってみる?」
「行く行く!」
三人はスパイクロークに身を包み歩きだした。
マルスはこの世界の地理をしっかりと把握しているようで足取りに迷いはなかった。
しかし隠密行動だと言うことを差し引いても静かだった。
懐かしい世界に帰ってきたのだから、喜んでも良さそうなものなのに。
「ここだよ。…よかった。今は乱闘に使われていないみたいだ。」
「うわぁ〜!」
マルスが連れて来たのは夢の泉だった。
夜空に浮かんだそこは、中央の噴水からこんこんと沸き出す水の恩恵を受けるように美しい花が咲き乱れていた。
そしてその水は遥か地上へ降り注ぐ。
「夢の生まれる場所…だったかな。綺麗な所だろう。」
「凄い!こんな綺麗な場所がこの世界にはあったんだ!」
スパイクロークの中でぴょんぴょんと跳びはねてピットは喜んでいた。
その様を見るとマルスも自然と顔が綻ぶ。
「…待て!…誰か来るぞ…。」
アイクが言ったのを聞いて息を潜めると、確かに足音が聞こえる。
そのまま様子を伺っていると、その足音の主が姿を見せた。
「!!」
紫色のマントを翻し、赤々と燃える髪が揺れた。
泉の中央まで歩いて行くと、何かに気がついた様に屈み込む。
拾い上げたそれをまじまじと見ながら踵を返した。
「ロイ…!」
マルスが小さく呟いた。ロイがそこに立っていた。
手にしていたのは彼がいつも着けていた額あてだった。
マルス達には気付く様子もなく、濡れてしまったそれの水気を切るように振っている。
「ロっ…!」
「ロイ!」
今一度その名を口にするのを遮るように先に誰かが呼んだ。
同じ声であるはずなのに、それには録音されたものを聞いた時のような違和感を覚えた。
「マルス!」
「あったの?」
「うん、やっぱりここだった。」
駆け付けてきた彼の姿を見るなり、ロイの顔に花が咲く。
それに応える様に彼も笑った。
マルスがそこにいた。
「どっ…どういう事!?」
声を潜めたままピットが聞いた。
「… あれはこの世界の僕。当たり前だろう。Xにいる者がこの世界からいなくなった訳じゃないんだから。」
「ってことはマルスが二人もいんのぉ…?」
いつもの茶化しを言われても、マルスは皮肉の一つも返さなかった。
黙ったままこの世界の二人を見つめていた。
向こうの彼はそっとロイの手を取り引いた。
ロイは照れながら、それでも嬉しそうに笑っている。
もう一人の彼は苦虫を噛み潰したような顔をクロークの下に隠していた。
「お、おい?」
急に立ち去ろうとし始めたマルスをアイクが引き止める。 「後は自由行動。各自見つからないように気をつけて、適当に切り上げてゲートに戻るように。」
にべもなく言い終えてマルスは去って行った。
呆然とそれを見送っていたアイクだったが「じゃ、また後でね!」と言い残して飛んで行った天使を追うことも出来ず、結局マルスの後に続いた。


しばらく歩いて、マルスが腰を落ち着けたのは森の中にある開けた場所だった。
スパイクロークを脱ぎ去り切り株に座っている。
アイクもそれを脱いだが、こちらに背を向けた彼からどことなく近寄りがたい雰囲気を感じて少し離れた所で立ち止まった。
「前にも一度マスターハンドに頼んでこの世界に来た事があるんだ。
 その時もあの光景を見てさ。一緒にいるのは僕なのに…無性に腹が立った。
 僕がXに行ってもロイが一人きりになる訳じゃない。この世界の僕がいて、僕達の仲がが引き裂かれる訳じゃない。
 それで十分だと思うべきなのかもしれない。…でもさ…。」
俯いていた顔を手で覆った。怒りか、哀しみか、小刻みに震えながらマルスは叫んだ。
「だったら何故!僕はロイの事を覚えているんだ!こんなにも好きだという気持ちも!大切だと思う気持ちも!彼との想い出も、それを懐かしいと思う気持ちも!!
 …何故…いっその事記憶を消してくれなかったんだ…。これじゃ…僕が辛いだけじゃないか…。」
覆った手で髪を掻きむしってかぶりを強く振る。
ぽたり、ぽたりと滴った雫が、彼の薄青色の服に染みを作った。
「…すまん。俺達が行きたいなんて言い出したから…。」
「断ることなんかいくらでも出来たさ。代理にもきっと右手か左手が行ってくれたと思うよ。
 でも僕も行きたかったんだよ。こんなにも辛いと思うのは目に見えて分かっていたのにロイに逢いたかったんだ!!
 …馬鹿だと思うよ、自分でもね…。」
感情の衝動のまま叫びつづけた後、その空間はしんと静まり返った。
アイクもかける言葉が見つからず、黙り込んでいた。
「…しばらく一人にしてくれ。」
「…分かった。」
マルスがいつもの冷静な自分に戻るために選んだ処置だとアイクは悟った。
また後で、と言い残して再びスパイクロークをかぶる。
足音が遠退いていった後、残されたマルスは重いため息をついた。
降り注ぐ木漏れ日が透き通るような美しい青髪を照らしていた。


「マルス?」
またアイクが尋ねてきたのかとマルスは一瞬だけ思ったが、それはすぐさま自らによって撤回された。
間違えるはずもない、記憶の中の声と何一つ変わらない澄んだ声。
「先に戻ってると思ったのに、こんな所で何してるの?」
ロイが背後に立っていた。
まずい…!
振り向く事が出来ないままマルスは思った。
見つかった…。マスターハンドの言葉を思い出す。
『貴方は特に、気をつけて。』
サクサクと草を踏む音が近付いてくる。
こないで、その一言が出なかった。
「マルス…?」
不思議そうなロイのその声はもうすぐ後ろにまで来ていた。
そして…。
「大丈夫……?」
ぽん、とロイの手が肩に触れた。
「…!?ま、マルス…?」
マルスはゆっくりと振り向いた。
涙に濡れた彼の青い瞳を驚いたように見ていた。
「…何か…あったの?」
「… 何でもないよ。」
こうなればこちらの世界のマルスに成り切るしかない。
服装の違いはいくらでも言い訳出来るだろう。
両方とも自分には違いない。大丈夫だ、出来る。
「でも…。」
「本当に何でもないから。」
上手く笑ってみせればきっとロイも安心する。
そうマルスは思ったが、彼の表情は曇ったままだった。
「…言いたくないなら、無理には聞かないけど…。」
しばらくの沈黙の後、ロイがいった。
どうやら笑顔は失敗だったようだ。
でも…と少し言い淀みつつも言葉は紡がれた。
心が満たされる声。その声が更なる涙を誘うがマルスは必死に堪えていた。
今これを決壊させてしまう訳には…。
その思いは次の一言でたやすくも崩される事となる。
「僕も…ここにいてもいい?」
それは今のマルスには反則だった。

身体が小刻みに震え出すのを止められない。
「マルス……?」
そう問われた時にはマルスはロイの手を引き、抱きしめていた。
突然の事にロイは一瞬身を固くするが、彼の懐に収まるとゆっくりとそれを緩めた。
押し殺す嗚咽を聞きながら、マルスの首元に頭を埋め、目を閉じる。
右手を背中に廻して、泣く子を宥めるように優しく叩いた。
泣いていいよ、と言うように。
それが決め手になったように、マルスの中でせき止めていたものが一気に溢れ出す。
声を上げ泣いていた。きつくロイを抱きしめながら。
ロイは苦しいほどの彼の腕にも逃げる事なく、マルスの涙を受け止めていた。



いくら程の時が経ったのか、いつの間にかマルスの嗚咽は止み、優しい陽射しに照らされたそこに静寂が戻って来ていた。
二人は抱き合ったまま今は小鳥の囀りを聞いている。
マルスは自分より一回り小さい彼を拘束し続けていた腕を緩め、ゆっくりと身体を離した。
伺うように上がった彼と瞳が合う。
「…有難う。もう、大丈夫。
 やっぱり、僕は君の前じゃないと思い切り泣けないみたいだ。」
あれだけ泣いて、泣き腫らしたような気がする顔で笑ってみせた。
少しぎこちないがそれでもロイも柔らかく微笑みを返してくれた。
汗ばんだ手で彼の赤い髪に触れる。
跳ね返った柔らかいその感覚を確かめるように指で梳いていく。
そのまま耳に、そして頬に触れた。
ロイは委ねるように瞳を伏せた。
この仕草が犬の様だと時々思う。
鼻先が触れ合った。赤と青の髪が混ざり合い、互いの息に触れる。
マルスは一瞬躊躇った。
閉ざされた瞳の縁の赤い睫毛が少し震えている。
軽く開いた唇は桜色に色付いて、静かな吐息を潜ませた。
その躊躇いは、ロイを騙しているという後ろめたさからだったのかもしれない。
しかし程なくして二人の距離はゼロになった。
良心の呵責といえるそれも、今はもう溶けてしまって分からない。



ロイはだいたいの事態を把握していた。
目の前のマルスが何者であるかなどは分からないが、つい先ほど夢の泉で会ったその人ではないというのには感づいていた。
最初に彼の肩に触れた時に感じた違和感は静かにロイの身体を波紋のように広がっていった。
しかし姿もいつもと少し違うくらいで変わりないし、声も話し方も彼そのものだった。
自分の髪を梳く仕草は、何かが違えどもマルスには変わらないと確信するに至るものだった。
優しく触れる手の平から感じる体温に安心する。
マルスのその仕草がロイはとても好きだった。

更にロイはもう一つ、マルスから言われた言葉であることを察した。

――やっぱり、僕は君の前じゃないと思い切り泣けないみたいだ。


それはつまり
この目の前のマルスのいるところに
自分はいないという事。




この世界の彼ではない。
となると、元の世界の彼なのか、また別なのか、そんなことは分からなかったが、
その二つのことが推測された時、ロイにこのマルスを拒む理由はなかった。


こんなに弱った彼をみたら、自分は放ってはおけないのだから。


唇が離れた後、二人に言葉はなかった。
触れたり、触れられたりしながら互いをかんじる。
生きている。今ここにいる。
それを確かめ合いたがるのはお互いの癖のようなものだった。
一度失えば決して戻らない命の自分と他人のの重さを、嫌というほど知っている彼らだからこその癖だった。


「…そろそろ戻らないと、ね。」
そう切り出したのはマルスだった。
ロイは何かを言いかけて、それを飲み込むように口をつぐんでうなづいた。
もう行ってしまうのか。
戻るのはどこへなのか。
その手を取って、同じ道を辿って帰りたい。
でもきっと彼はそれが出来ないに違いない。
「ロイ、ごめん。ちょっと用事があるから、先に戻っててくれるかな。」
想像していた言葉が言われた。
ひそかに伸びていたロイの右手がぴたりと止まる。
マルスはロイから身体を背けていた。右手は気付かれないまま拳となって降ろされた。
「また…後でね。」
マルスは笑っていた。優しい微笑みの物悲しげなそれにロイの胸が詰まる。
行ってしまう。言わねば!
マルスが踵を返して一歩、歩み出した瞬間だった。
「マルス!」
詰まっていたそれが鉄砲弾のように飛び出した。マルスが足を止める。
「マルス、僕は。」
これから言う言葉を大切にするように、ロイの通る声が静かに響いた。

「僕はずっと、ここにいるよ。」


マルスは振り返らなかった。
言葉も発さなかった。
けれど、しっかりと一つ、頷いた。

そのまま森の中へ走り去る彼の背中を見送りながら小さく手を振った。
心を切り替える為の別れの挨拶は、ロイ自身にしか見られることはない。




ゲートの前には既にアイクとピットが待機していた。
マルスの姿を確認して門の縁にもたれ掛かっていたアイクが身体を起こす。
「遅くなったね。」
「いや…。」
「………。」
おや?とピットを見るとしゃがみ込んで膝を抱えてる。
何か暗い表情でぶつぶつと言っていた。
「どうしたの?」
「何をしているのかと思ったら、フィギュアの展示室にいて何か壊そうとしてたんだよ。
 どうにか引っ張って帰ってきたがそれからずっとこの調子で…。」
「……帰ろうか。」
二人は拗ねているピットを連れて再びゲートに身を投じる。
景色が変わり行く中、マルスはもう一度振り返った。
遠くなっていく世界にむけて小さく呟く。
それはマルスにだけ聞こえた言葉だった。


無事、役目を終えたゲートは音もなく消えた。



想い出の場所は色褪せることなく。




END






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