※ロイさまがヤンデレです




「ねぇ、マルス。これ、何?」
目覚めのキスは優しかった。
柔らかい唇で僕のを何度もついばみぼんやりとした視点の定まらない目が合えば、いたずらっぽく笑って再び吸い付く。
僕は自室で本を読んでいた・・・その筈だ。後ろから声が掛かって、それがロイだとわかって、なんの疑いもなく振り返った。
そしたら口に布が・・・あぁ、まだ頭がふわふわする。凄い力でそれが押し付けられていたのは良く覚えている。
普段の彼からは想像もつかないような。彼も剣を取る者。僕に組み敷かれるときはどれほど心を許しているかが伺える。
「ねぇ。」
急かされる様に、僕は人差し指でツンと鼻を突付かれた。その手が再びそこへ。
「これ、何?マルス。」
その指が指し示すのは僕の左手の薬指。銀の色が冷たい光を放っている。

僕は今、椅子に縛られている。

かろうじて動くのは首と口だけ。
後は胸、腰、太もも、ふくらはぎ、二の腕、肘、手首を固く拘束されている。
うっ血するほどではないものの、ちょっともがいた程度では緩みそうもない。
僕の顔を覗き込んでくる彼の瞳は、普段の爽快な空色ではない。
淀んだ蒼。答えなくては。いつもの彼と思っては駄目だ。

「・・・結婚指輪だよ。」
「誰との?」

間髪置かず聞かれる。知っているくせに。

「妻のシーダだ。」
「シーダ・・・。シーダさん。そう、そうだよね。」

無表情でポツリ、ポツリとつぶやいて、何か納得したような口ぶりで言うと、また子供っぽく笑った。
そして僕の股の間に座り込んでくる。あわせた背と腹。僕は内心、気が気でない。
嫌な予感がする。嫌な予感が。

「ねぇ、マルス。僕のこと好き?」

甘えるように頭を寄せる。
同時に、腰をくねらせ自分の尻と僕の太ももをこねるように擦り付けた。
扇情的な仕草。甘くとろけるような彼の体は何度も僕を痺れさせた。
けれど、今は背中に冷や汗しか流れない。顔にも引きつった出来損ないの笑顔しかない。

「好きだよ。」
「本当に?どのくらい?」

甘えた声。僕の股の間に座ったまま、くるりと体を捻る。
懐から僕を見上げて笑っている。

「凄く。凄く好きだ。」
「誰よりも?」
「あぁ、誰よりも君を愛してる。」

なるべく平静を装って、彼が満足するように甘い声を出して耳元で囁いてみせる。
声は震えていないか、心臓の音は聞かれてないか、不安だった。

「もっと、もっと言って。」
「愛してるよロイ。誰よりも。君が好きだ。」

決して偽りではない。いつも彼に囁く言葉だ。時に優しく、時に濃密に。
けれど少し心が痛むのは何故だろう。

彼は今、正気ではない。何かに取り付かれたような目をしている。
でもしばらくすれば戻るだろう。自分のした事に真っ赤になったり真っ青になったりして動揺するはずだ。
だからとにかく、今はこれ以上彼を刺激しないようにしないと。

その考えが、僕を後ろめたくさせるのだろうか。

「嬉しい。嬉しいな。僕もマルス大好き。すごく、すっごく大好きだよ。」

向き合い、椅子の上に片膝を付いて、少し上から僕を見下ろす。
そして僕の瞳にキスをした。僕の目は自然と閉じる。

「じゃあもう、これ、いらないよね?外して。」

彼の右手の指が僕の左手薬指をなぞる。
銀の指輪の前でピタリと止まった。
この状態で?と問いたい。
でも何故か、その言葉が出てこなかった。

「そう言って、前にも外してもらったことあったよね。僕を抱く前、指を絡めたときに当たるのが嫌だからって。
 指輪の冷たい感触に触れるとね、目が覚めちゃうんだ。折角マルスに酔ってたのにって・・だから嫌だったの。」

そうだ。あの時は僕は迷ったけど、指輪を外した。
けれど翌日また付けた。彼に見られる前に手袋の中に隠した。
それから彼と肌を重ねる前に外して、翌日付けて・・・そうしていた。

「でも、また付けちゃうんだよねマルスは。手袋してても隠し切れないよね。手を繋いだら分かるしね。」

だからさ・・・。
そう呟いて、彼はしゃがんだ。
椅子の下に手を伸ばし、再び立ち上がった。


「切り落としちゃえばいいと思うんだよ。その薬指。」


彼の手には鋭く光る刃が見えた。
大きさからして18cm程度の果物ナイフのような刃物。
僕は凍りついた。その僕を見て、ロイは笑っている。

「ね、切り落としちゃおうよ。そうしたらもう付けられないでしょ。
 別の指につけたら、それはもう結婚指輪の意味を成さないよね?」

再び椅子に膝をついて僕に顔を近づける。
僕の口の端に口付けを落としてそのまま耳に。

「別の指につけたりしたら、マルスの指、全部切り落とさなきゃならなくなるかもしれないけど。」

驚くほど澄んだ声。ドスなんてものは一切ない、少年の声。
けれどそれがたまらなく恐ろしかった。
「首から下げるくらいなら許してあげる。」そう言った彼の顔はにっこりと微笑んでいた。

「僕の薬指も切り落とすよ。そうしたらいつか僕が結婚しても、指輪嵌められない。これでお相子だよね。
 そうだ、そしたらお互いの指を交換しようか。二人で持ってるの。大事にするよ、マルスの指。」

この間まで無垢で無邪気な子供だと思っていた。
僕が色を教えたら、それは蜜めいた顔をするようになったけど、それも彼の夜の顔でしかない。
普段は明るくて優しくて、仲間や家族を大切に思う好青年だった。
いつから、こんなに・・・。

「ねぇ、マルス。どう思う?」

左手の指で刃をなぞりながら、尋ねかけてくる。
恐ろしい・・・それを通り越して哀しい。心臓を鷲づかみにされたように胸が苦しい。
もういっそそのナイフで僕の胸を突き刺して欲しい。
君をそんなにしてしまったのは僕なのだから。

「ロイ・・・。」

言葉が詰まって出てこなかった。
ただ、彼の名前を呼ぶことしか出来なかった。
彼からはいつの間にか笑顔が消えて、冷ややかな目で僕を見下ろしていた。
その顔を直視することが出来ずに僕は目をそらした。

「・・・そうか。じゃあ僕のからやるよ。」

その言葉にハッとして見ると同時に、バンッ!と音がして彼が左手を床についた。
手を力いっぱい開き、中指と小指を無理繰りに引き離して、刃を上に股掛ける。

「見てて。」

僕の顔を見て彼はにっこりと笑う。
そして再び指に目を戻すと、力いっぱい押し込んだ。

「待って!!」

彼の動きがピタリと止まる。
三度、僕を淀んだ空色が見やる。

「・・・僕のからやって・・・。」

そう言うのに、迷いがなかったといえば嘘になる。
けれどその言葉は自然と口から零れ落ちた。
彼は無言で立ち上がった。その左手の薬指からは血が滴っている。
迷いなく振り下ろされた刃は切り落とすまではいかなくとも、深い傷を刻んでいた。
そっと近付いて、僕にまた口付けた。今度は何度か角度を変えて、いつも艶事の前にするそれに似ている。
でもそれにしては優しかった。体に染み入るような、愛しい口付け。

跪くと僕の左手の指を広げ、自分にしたのと同じ様に中指と小指を特に引き離す。
そして僕の目をじっと見つめた。

僕は黙って頷いた。右手が自由なら頭を撫でてやりたい心境だった。
ロイは僕の左手に頬擦りをして、口付けた。
刃の切っ先を指の間に嵌め、柄をぐっと握った。


「愛してる。マルス。」



彼を変えてしまった僕の罪が、これか。









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