人と悪魔【大団円】

「覚悟は、決めたんだね。」
「お前の覚悟を見たからな。」
二人は剣を構え、互いを見据える。
目には見えぬ霊魂の姿に戻ったロイは、マルスが置いた赤い服と共に棺の傍らでその様子を見守っていた。
彼が口付けを残し背を向けたとき、その時の表情が目に焼きついている。

マルスはもうずっと血を吸ってなくて弱りきっている。それなのに神剣を持つ人間と戦おうとしているのだ。
多分、マルスはあの人に勝てない。もし勝てたとしても勝とうとしないだろう。
楽になりたいんだ。もう十分すぎるほどの罰を受けたはずだ。
あのひと時の為に、彼は千年もの間を孤独に耐えた。その手を汚した。

だからもう

マルスは死にたいんだ

マルスの剣がアイクの喉を掠める。
しかしそれにひるむこともなく、アイクはラグネルを振り下ろした。

マルスが死ぬ。

その一撃が地面を砕き、砂埃が上がる。
マルスは間合いを取って下がる。息を大きく吸って、地面を強く蹴った。

マルスが死んでしまう。

剣の大きさと重量からマルスはまともに受けることは出来ない。
霧になる術を封じられている以上、自力で避けるしかない。
それは着実に彼の体力を奪って行った。

マルスが死んでしまう。
この冷たい城の中で。

低い姿勢から懐に飛び込み、突き上げる。
それは僅かにアイクの服と皮膚を裂いて切っ先を血に濡らした。

やめて。

今度はあいたマルスの胸に向かって、アイクが身体をぶつける。
たまらずマルスは吹き飛ばされ倒れた。

やめて!

起き上がる体勢を整える前に、マルスの眼前にはラグネルを振り上げたアイクがいた。
その金色の剣が光りうけてマルスに振り下ろされた。

やめて!!
マルスを殺さないで!!


それ以上の言葉に出来ない激情が爆発したように、僕は駆け出していた。
今まさにとどめを刺され様としているマルスに必死に手を伸ばした。
その指先から、僕の身体が形を成していった。

「マルス!!」




ラグネルはロイの眼前で止まった。剣越しに、使い手の驚愕した表情が見えた。
その世界は止まったように静かだった。砂埃だけがゆっくりと舞い上がった。

「ロイ・・・?」
背中から掠れて震える声が聞こえた。
胸を締め付ける。誰よりも大切な人の声。
振り向くと、彼がいた。
青かった目は血の様に赤く。それを見開いて。
「お前・・・。」
「マルスを、殺さないで下さい。僕が・・全部・・・悪いんです・・・。」
言いながらも、ロイの膝は震えていた。力が抜けて今にも座り込んでしまいそうだった。
「マルスは僕のせいで・・・僕がいたからマルスは・・・もう、マルスを苦しませたくない・・・お願いです、マルスを
全て言い終わる前に、ロイは後ろに強く引っ張られマルスに背中にかばわれた。
漆黒のマントを彼を隠すように広げ、剣を構えた。
「マルス!!」
マルスは振り向かなかった。アイクをじっと睨み付けたまま、身じろぎもせず。
「アイク!!」
「!?ピット・・・!」
「バカ!バカ!もうやめてよ!」
ピットがそう叫びながら飛んできてアイクの背中にしがみついた。
アイクは思わず剣を構えたまま少しよろめいた。その隙を見逃さず、マルスの剣が光る。
それを見てロイは咄嗟にその右腕を押さえ込んだ。
「!」
「やめてマルス。もう・・やめて・・・。」
もうこれ以上・・・。最後の方は消え入った声だった。
「ロイが、マルスがずっと待ち続けていたロイが蘇ったんだよ?幻じゃなくて今ここにいるんだよ!!これでも戦いあうっていうの!?」
「しかし・・・。」
アイクが目の前の二人を見た。ロイに右腕を押さえられて、戦意を失ったマルスを見て、彼も剣を下ろした。
「マルス・・・!」
ロイが呼ぶと、マルスが振り返った。
ようやく届いた声。ロイの目からは涙がこぼれて止まらなかった。
「ロイ・・・本当に、ロイなの・・・?」
「うん、そうだよ・・・僕だよ・・・マルス。」
マルスの両手がロイの頬を包んだ。その赤い目からも透明な涙が流れていた。
それ以上お互い声も出ず、抱き合っていた。
静かな廃城の塔に嗚咽だけが響いていた。



「どういうことだ・・・ロイが蘇るのは一度きりだったんじゃなかったのか。」
「そのはずだった・・・けれど・・・。」
三人の視線がロイに注がれる。ロイは少しうつむいて首を振った。
「僕にも分からない・・・。あの時、マルスが死ぬって思ったら、身体が熱くなって、駆け出していて・・・。」
「奇跡だよ、奇跡。それしかないでしょ?」
ピットがあっけらかんと言う。
「・・・あのなぁ、奇跡なんかそうポンポン起きていいものじゃないだろう。」
「じゃあ他に説明できる?それに奇跡が起きるなら、みんなこの結果を望んでたと思うよ。」
白い翼をはためかせてロイの傍に寄るとその肩に手を置いた。
嬉しそうに笑うピットに、彼も釣られて笑う。
「・・・けど、君はこれで終らせるわけにはいかないんだろう。」
「お前をし止めると街の人間と約束しているからな。」
二人がそういうと、また緊迫した空気が流れる。ロイが心配そうにマルスの腕に自分の腕を巻いた。
「お前、その姿・・・人間じゃないんだな。」
「この服に宿ったロイの魂が形作っている・・・分類で言えば悪魔だよ。・・・悪魔と聞いては捨て置けないかい?」
マルスの目がギラリと光る。アイクは黙って二人を見つめていたが、その静寂を破ったのはやはりピットだった。
「ねぇ、この二人を斬るつもりじゃないよね?」
「いやしかし、一度受けた依頼は・・・。」
「依頼を完了させればいいんでしょ。この二人を殺さなくても。」
ピットの言葉を疑うように、三人は彼を見た。彼はどこか得意げにニコニコと笑っている。
「いい事思いついちゃった。マルス、これから夜明けだけど・・・ちょっとは耐えられる?」
「え・・・。」
彼はにやけた顔を崩すさぬまま、一人離れているアイクを手招きした。
「ふふふ・・・あのね・・・。」
ピットは三人に耳打ちをした。その「いい事」を聞いて、三人は三様の表情をしていた。


「剣士さまだ!剣士さまが戻ってきたぞ!」
アイク達が城に発ってから吉報を今か今かと待っていた町人は、彼らが帰ってくるのをいち早く発見した。
歓声のあがる中、アイクとピットは荒れた道を戻ってきた。アイクは後ろに大きな黒い棺を引き摺っていた。
「剣士さま!それで、悪魔は・・・!」
街に戻るや否や二人は町人達に囲まれ、そう尋ねられた。
アイクは棺を引き摺っていたロープを手放し、その蓋に手を掛けた。
「こいつで、間違いないな。」
重い棺の蓋が音を立てて開くと、囲む人たちから感嘆の声が上がった。
中には胸の上で手を組み横たわる青髪のバンパイア、マルスその人がいた。
その腕の下には赤い布が大事そうに抱えられていた。
「こいつだ!とうとうバンパイアがし止められたぞ!!」
「これで安心して眠れるのね!」
喜びの歓声が上がる中、枯れた叫びが聞こえた。
「王子!!」
おぼつかない足よりで駆け寄ってきたのは町長だった。
棺にすがりつき、マルスの顔を見ると途端に大声で泣き出した。
「おぉ・・おぉ・・・王子、ようやく長きの苦しみから解放されたのですね。不甲斐ない我らをお許し下さい・・どうか、どうか・・・。」
老人の慟哭に、他の者達も静まり返ったかと思えば、辺りからすすり泣きが聞こえ始めた。
「あ・・あぁ、その事なんだが・・・。」
アイクが言い辛そうに切り出した。
「今は確かに動かない。しかしこいつはとんでもなく厄介な悪魔で・・・またしばらくすれば復活する。」
「な、なんですと!?神剣を持ってしても倒すことが叶わなかったと!?」
湿った雰囲気から一転、アイクとピット以外は一斉に棺おけからあとづさる。
でも、大丈夫!明朗な声で言ったのはピットだった。
「これからコイツを女神様のところへ連れて行き、完全に浄化しちゃいますんで!」
驚嘆の声が上がって視線が一気にピットへ集中する。
「そ、そんな事が出来るのですか!?」
「出来ます、出来ますとも。実は・・・何を隠そう、僕は天使なんです!」
そう言って、ピットがコートを脱ぎ去った。白い翼が朝陽を受け輝いている。
「天使!?」
「本物だ!天使さまだ!!」
その姿に町人全員が跪いた。その光景にアイクは半ば呆れたような顔をしていたが、ピットは彼らを手でまぁまぁと諌めた。
「だから安心して下さい。この街にはもう戻ってくることはありません。」
「悪魔を退治して頂いただけでなく、後始末まで引き受けて下さるとは・・・なんとお礼を言ったら良いか・・・!」
「あ、あぁ・・・これも、仕事のうちだからな・・・。」
町長に縋り付いて泣かれ、アイクは目を逸らした。ピットはにやにやと笑っている。
「あぁ、剣士さま、お疲れでしょう。どうぞ今日はゆっくりと宿でお休み下さい。」
号泣している町長をアイクから引き剥がしながら、宿屋の主人が言った。
「いや、すまん。今日はもうすぐに発たねばならん。うかうかしているとコイツがおきてしまうからな。」
親指で棺の中を指して言った。そうですか・・・と、主人は酷く残念そうにため息をついた。
「じゃあ、そういうわけで。僕達はまた旅立ちます。皆さんお元気で!!」
去っていく二人の姿を町人一同が手を振り見送った。その歓声を背に二人は歩き出した。
しかしピットが何か思いついたように飛んで帰ってきて言った。
「ねぇ、誰か日傘持ってない?」
ピットのその言葉に町人達は顔を見合わせた。


「よくまぁこんな都合よくいったもんだな。」
「あぁいう辺境の町って結構迷信深いんだよ。悪魔の被害に苦しんでたなら尚更ね。天使は神様くらいのつもりじゃない?」
街から大分離れたところまできて、アイクは歩みを止めロープを投げ捨てた。
「おい、もう大丈夫だぞ。」
ゴンゴンと棺を叩くと、中からマルスとロイが顔を出した。
「良く我慢しました〜。」
日傘を差しながらピットがニコニコと笑っている。
「あぁぁぁぁ顔が焼けるかと思ったぁぁぁぁ!」
「大丈夫?マルス・・・。」
顔を覆って苦しむマルスにロイが心配そうに声を掛ける。
「ロイ僕の顔、変になってない?」
「うん、平気だよ。」
「良かった・・・。」
「今まで沢山人を殺してきたんだからこのくらい我慢しなさいよ。」
「辛いものは辛いんだよ!!」
ピットに茶化されてマルスは叫ぶ。その光景に、ロイは笑みをこぼす。
「・・・ロイの笑顔、久しぶりに見たよ。ずっと・・・夢見てた・・・。」
「マルス・・・。」
二人を取り巻く空気が煌き始める。やれやれという様にその他二人はため息をついた。
「で、お前らどうするんだこれから。」
「もう一緒に旅しちゃう?」
ピットの提案にアイクを含め三人から驚きの声が上がる。
しばらく黙り込んでいたが、ロイがポツリと言った。
「アイクさんが許してくれるなら・・・マルスがまだ弱った状態なのは変わらないから誰かいると助かります。」
「ろ、ロイ。」
「ね、マルス。あの街には戻れないんだし・・・。」
二人がアイクを見ると、彼は腕を組んで渋い顔をしていた。しかし諦めたようにため息をついて言った。
「・・・人を襲わないと約束するなら好きにしろ。」
ロイの顔が明るく輝く。マルスは不本意そうだったが、背に腹は変えられないという面持ちだった。
「しばらくは動物の血で我慢か・・・。」
「有難うございます。これからよろしくお願いします。」
愚痴るマルスに頬を寄せて、ロイは嬉しそうに言った。
その笑顔に、アイクも悪い気はしなかった。
「・・・さて、じゃあ悪いんだけど、僕は昼間寝てるから宜しくね。ロイ、おいで。」
そう言ってマルスはロイを抱きしめると棺の蓋を閉めた。
しかしすぐに開いてこう付け加えた。
「あぁ、あとでで良いからこの棺に車輪つけてよ。もう寝心地最悪。頼んだよ。」
そして棺の中に戻って行った。耳を澄ますと中で何か物音がしている。
「・・・やっぱ置いていこうかな・・・。」
「さー頑張って旅立ちましょう!」
日傘を振りかざし、ピットが歩き出した。アイクは重いため息をつきながらロープを手にする。
長い長い道の先を眺めて二人はまた歩き出した。




End