ある嫡子の記憶。


15のある日、突然マルス王子から『側近として傍に置きたい。』と通達があり、取り立てられた。
理由は『年齢の近い友人が欲しいから。』というもの。
どこまでが本気なのかは分からないが、ならば我も我もと他の大名諸侯たちも自らの息子や娘を王子に薦めた。
それでも王子は僕を選んだ。父上は大変名誉なことだと喜び、僕自身も王子がそう求められるならと、住み慣れた家を後に城へ発った。

初めて王子にお会いしたのは僕が12の時。父上に連れられ、城で謁見した。
ご尊顔を拝した時に思ったことは(当時の僕が言うのも難だけれど)年齢にしては幼く見える方だということだ。
だから3年経って再会した時にはその変わりように驚いた。
あの時、幼く見えたお顔立ちは端整なものへと変わり、すらりとした背に比例して長い脚が印象的だった。
蒼眼蒼髪。すっときれる瞳に見つめられると心がふるえた。この方が僕が一生をかけて尽くす国の王子。
就任に当たっての挨拶や誓いを行っている最中も、たびたび王子とは目が合った。
そのたびに僕を安心させるように優しく微笑まれて、その心遣いに救われた。
周りを囲むのは僕らよりも20や30は離れている諸侯、重臣、お歴々。
この中でずっといれば歳の近い友人が欲しくなるのも当然だろうと察した。
自分がまだ未熟なのは分かっている。だから僕にしか出来ないことで、王子を支えて差し上げたいと思った。

その後、王子の部屋に呼ばれた。
きっと初仕事についてや心得などの言葉を直々に頂けるのだろうと、僕は畏まってお部屋を伺った。
王族の私室など初めて通されて知ったことだが、豪華絢爛というよりは清楚清潔な様子で、王子の人柄が伺える。
どんな事を言われるのだろう。目指す政務についてや、僕には計り知れない様な崇高な志か。
僕はただ王子の言葉を待った。

しかし、そこで僕は知る。
マルスについて。


「ロイ。」
「は、はい。」
「そんなに緊張しなくても。」
面と向かって座っている相手は緊張を形にしたような様子で、自分の言葉の一切を聞き逃すまいとしている。
マルスは苦笑して少し言葉に詰まった。どんな言葉から掛けてやればよいものか。
「・・・久しぶりだね。三年ぶりか。」
「覚えていただいているとは光栄です。この度も身に余る計らいに我が父も・・・。」
「あぁうん、分かった。いいんだ。僕がしたかったことだから。」
その砕けた物言いにロイは少し困惑したような顔をした。王座の前に跪いたときに見た彼とはあまりに違っていたから。
「ロイ、僕はね、三年前に初めて君を見たときからこうしようって決めてたんだよ。」
「それは・・・一体何故?」
自分を?そう言いたそうなロイの顔から少し目を逸らし「・・・うん、色々思うところあって・・・。」と小さく呟いた。
重い沈黙と共に少しの間があったと思ったら、マルスは突然ロイの手を取った。驚いた彼は息を飲んでマルスを見た。
「君の力を借りたい。」
今度は真っ直ぐにロイを見据えて言った。
「君も思っただろう。僕の周りは酸いも甘いも知り尽くした大人たちばかりだ。
 父上や母上が亡くなってから僕は王子だから祭り上げられたが、上手く操られてしまうかも分からない。
 歳が近く、聡明な君が傍にいてくれたら僕は道を誤らない。そう思ってこの度、君を指名した。」
語る彼の目は真剣だった。ロイもただ黙ってその言葉を聞く。
「僕の片腕・・・もしくは、真実を見抜く片目となって頑張ってもらいたい。」
「もったいなきお言葉。必ずや、この一命に懸けましても。」
ロイの返事を聞いてマルスは頷いたが、急に困ったような顔をしてため息をついた。
「どうかされましたか?」
「・・・あのさ、真面目な話をしておいて言うのも難だけど・・・その喋り方やめてくれない?」
「・・・は。」
突然また彼の様子が変わりロイは戸惑った。自分は何か不敬を働いただろうか。
「僕は知ってるよ?君の喋り方が普段そんなじゃないの。もっと普通に話して欲しいんだよ。」
「そうは・・言われましても・・・。」
自分で言うことではないが、確かに自分は卑しい身分の人間ではない。
だが相手は一国の王子。実質は国王だ。その相手に普通の言葉で話すようにと言われても、無理な話である。
「そ、そんなことは出来ません!」
「・・・じゃあ初めての僕からの命令。僕と二人きりの時だけでいい、僕のことはマルスと呼び捨てて、話し方も普段どおりにして。」
「!」
ロイが反論をする前に、マルスは席を立ってしまった。
「お、王子!お戯れがすぎます!そんなこと僕は・・・。」
「・・・・・・・。」
しかし彼は振り返ってくれなかった。腕を組み、背を向けたまま立っている。
「おう・・・・・・・ま、マル、ス・・・。」
「なに?ロイ。」
そういわれて振り向いた彼の笑顔は憎たらしいほど晴れ晴れとしていた。ロイは心底困った様子で内心にため息をついた。
「・・・ロイ、お願いだよ。」
ずるいと思いつつも、切なそうに言う彼についにロイが折れた。目頭を押さえてしばらく瞑っていた目を開いて。
「二人きりの・・・ときだけで・・だけだからね。他の人に聞かれたら大変な事になる、から・・・。」
「うん、ありがとう。ロイ。」

これが僕とマルスの間に初めて出来た最初の秘密。
冬の季節のこと。外は深々と降り積もる雪で真っ白になっていた。


それから慌しく三ヶ月がすぎ、忙しいながらも学ぶことが多い毎日を僕は送っていた。
マルスは僕に色々な事を教えてくれた。
王室とは何か、政務とは何か、いかにして民の心を心得るか、いかにしてその声を聞き逃さないようにするか。
後は彼の個人的なこと。好きな紅茶の種類、入れる砂糖の数。
彼は他の臣下の前でこそ威厳を持った振る舞いをするが、本当はとても柔らかな気性の持ち主だと言うことを僕は春を前にして理解した。
部屋で二人きりになると、とたんにその本来の姿が出てくる。
今も、机に突っ伏したまま眠ってしまっている。風邪を引くからちゃんとベッドで寝るように声を掛けたが、あいまいな返事しか返してこない。
何か疲れに効く様なものでも持って来よう。そう思い、僕は彼の背に毛布をかけて部屋を後にした。

「これはロイ殿。」
調理室に向かう途中、ロイは二人の貴族に会った。二人ともこの王国に重きを置く臣下だった。
恰幅のいい彼らはその体を揺らしながら歩み寄ってくる。
ロイは胸に手を当てて礼をする。その姿を見て蓄えた髭の下の口がニコリと笑った。
「お勤めご苦労ですな。王子は今ご自室におられますかな?」
「はい、何か・・・。」
二人の手には2、3こずつのスクロールが握られていた。
「今月の商業、農業の報告書です。後は会議の時にお話した懸案のまとめをいくつか。これからお持ちして、お考えを頂こうと思いまして。」
こうしたものは次々にマルスの部屋に持ち込まれ、即急に指示を求められる。
今だって彼は書類の山に囲まれてうたたねをしているのだ。
「王子は今、お疲れです。また後ほどに出来ませんか?」
「それでは困りますな。ロイ殿で言いにくいならば、私自らが王子の所に出向きますゆえ。
 ・・・それとも、この懸案については私が事の指揮を取りましょうか?以前より温めていた案があります。」
丁寧な言葉の中にもいくらか小馬鹿にしたような口ぶり。だがロイは動じなかった。引く事もなかった。
「王子に意向をなしにその様なことは許されません。僕の方からお持ちいたします。」
ロイが手を差し出すと、彼らはフンと鼻をならし手渡した。
両手いっぱいにスクロールを持って去っていくロイの背を見送りながら、残された彼らの一人が舌打ちをした。
「偉そうに・・・小姓風情の分際で。」
「なんと。ロイ殿はマルス王子の小姓だったのですか?」
「公には言われていないが、恐らくそうだろう。あの歳、あの容姿、家柄からも王子の小姓としては問題ない。
 でなければあの小僧だけが王子に取り立てられた理由がわからぬ。」

そう陰口を叩かれているのは知っていた。
けれど僕には、僕はマルスの小姓ではないと確信するに足ることがあった。
一つに、マルスは僕を自分の小姓だと言った事がない。これが一番の理由。僕は彼の言葉を信じている。
もう一つに、マルスは僕に政治的な意見を沢山求めた。これが第二の理由。小姓として扱われているならこれはありえない。
最後の一つは、マルスは僕に小姓としての一つの務めを求めてきた事がない。いわゆる体を許すこと。
これは本人がその趣味を持っていなければ、なくても不思議はないことから三番目。

僕はマルスに対等な友人として扱われている・・・これらのことからそう信じるのはさほど難しいことじゃなかった。
・・・と、『僕が』そう思いたいだけなのかもしれないけれど。

部屋に戻ったが、マルスはまだ眠っていた。それもそうだ、先ほどから大した時間は経っていない。
机に歩み寄ると、彼の寝顔を覗いた。腕を枕に静かな寝息を立てている。
こうしているとそうは見えないが、彼はこの国を背負う人間。特別なのだ。
この国の為に一生を捧げ生きる。普段はあんなに優しくて穏やかで、人並みの茶目っ気ものある人なのに。
「マルス・・・。」
名前を口にする。今は僕だけに許されている、飾り気のない彼の名前。
突然、涙が出てきた・・・理由は分からない。いや、思ってしまったんだ。この人は一生の全てを国の為に捧げる。
毎日毎日、こんなにも身を削り、神経を削り、疲れ果てるまで。
こんな事をしていたらきっと早死にしてしまう。マルスが死んでしまう。この冷たい城の中で。
スクロールに涙がこぼれ、じわりと紙に滲んだ。僕は慌てて顔を覆うと今度はそれを落としてしまった。
芯の木と床がぶつかり合って大きな音がし、ビクリと身体を強張らせてマルスが起きた。
一瞬合った目と涙にぬれた顔を隠すように僕は床に膝を付いてスクロールをかき集めようとした。
「・・・ロイ?」
「ごめん、なさい。起こしてしまって・・・すぐ、片付けるから。」
「ロイ、ロイ?」
宥めるような声で彼は僕の名前を呼んできた。それが余計に僕の胸を締め付ける。
肩をつかまれ身体を起こされるが、顔だけは見せられないとうつむいていた。
それでも、顎を掴まれてしまえば上を向かざるを得ない。
僕の瞳から流れている涙をみて、マルスは目を丸くした。
「・・・どうしたの?何かあった?」
「何でも・・・ない。」
「何でもないことはないだろう。」
ぎゅっと握ったスクロールの紙がくしゃくしゃになってしまった。
何とか涙を引かせようとしたが、しゃくりあげるだけで上手く行かない。
「ごめん・・辛いのは、マルスの・・はずっなの・・に・・・・っ。」
僕が泣いたところで何もならないのに。それでも止まらない涙が憎らしい。
気持ちよく寝ていたと思ったら大きな音がして、飛び起きたら泣いている人間がいる。
理由も分からないで泣きじゃくっている。こんな状況じゃ困惑して当然だ。
流石のマルスもこれには厳しく叱咤するかもしれない。もしかしたら嘲笑されるかもしれない。
そう思って身構えていたのに、彼がしてくれたのはそのどちらでもなかった。
ただ黙って、僕を抱きしめた。
背中に腕を回し、しゃくりあげて呼吸が整わない僕の背を泣く子供をあやす様に軽く叩いた。
もう片方の手で、僕の髪を梳きながら。
辛さが溢れてきた。彼の腕が優しくて、彼の体温が温かくて。
「マルスっ・・・。」
僕は涙を抑えることが出来ず、そのまま泣いた。
彼の純白のマントに涙の染みが出来てゆく。そのことも含めて申し訳なさで泣いていた。
マルス・・・マルス・・・。
ろくな言葉をつむぐことすら出来ず泣き続ける僕を、ずっと抱きしめていてくれた。

落ち着いたところで理由を聞かれ、少し渋ったが諭されて話すと「なんだそんなことか。」と言って彼は息をついた。
ほっとした様な表情で優しく笑う。まだ涙がこぼれ伝う頬を拭ってくれた。
「僕は大丈夫だよ、ロイ。もう泣かないで。そんなに泣いたら目が腫れてしまうよ。」
「でも、でも僕はマルスが心配で・・・。」
「・・・ありがとう。僕のために泣いてくれたんだね。」
またマルスに抱きしめられた。さっきよりも強く。身体の密着した部分が広くなってなんだか妙な気分になってくる。
顔が熱い。考えてみればずっと抱きしめ合っていて、しかも自分はこの人の腕の中で泣いていたのだ。
「マル・・ス。有難う、もう大丈夫だから・・・。」
「そう?」
そっと身体が離れて、彼は僕の顔を見つめてくる。僕は視線に耐えられず思わずうつむく。
泣き続けていて酷い顔になっているだろう。しかも焼けるように熱いから真っ赤になっているに違いない。
こんな顔、マルスに見せられない。そう思っていたのに彼はそれを許してくれなかった。
「ロイ、元気の出るおまじない。」
顎のラインに手を差し入れられたかと思えばすっと持ち上げられる。
気が付いたときには、唇が触れ合っていた。
僕はただ目をパチパチと何度も瞬かせて、身じろぎも出来ない。
眼前には閉じられたマルスの目。長いまつげが綺麗だった。
少し離れ、すっと開いたその瞳は綺麗な青。そのままもう一度触れ合った。その時には僕も自然を目を瞑っていた。

これが二つ目の秘密。
少し強い風と暖かな陽の光が春の訪れを告げていた。


それから僕らはどこか意識をするようになってしまった。
相変わらず仕事に追われる日々ではあるし、マルスは忙しくなる一方だから傍に付く僕の方にも沢山の仕事が回ってきた。
それもあるが、あの日以来、部屋で二人きりになるとぎこちなさというか、気恥ずかしさというか、そういう空気が流れてろくに会話にならなかった。
仕事のほんの少しの合間。一日が終って、眠りに付く前の少しの時間、部屋で二人きりになっても前のように茶を楽しみながら会話する事もあまりなくなってしまった。
それに加えて、近頃マルスは暇を見つけると城の庭園へ赴くことが多くなった。
僕と時間が合えば連れて行ってくれるが、そうでない時は一人で庭を歩いている。
春真っ盛りで庭の木や花々は賑やかさを増しているし、今この時期でしかみれられないものもある。
きっとそれらを見て心を癒しているのだろう。仕事が片付いても彼の所に駆けつける気にはならなかった。
たまには誰だって一人きりになりたいはずだ。

その日も僕はマルスの部屋で書類の整理をしながら、時折窓から庭園を見下ろしてマルスの姿を追っていた。
庭師のような人と会話しているのが見える。相手は最初は慌てたような困ったような様子だったが、そこは彼の話術が効いたのだろう、今は楽しそうに話している。
「マルスが戻ってくる前に終らせないと。」
整理と行ってもマルスが目を通さないことには進まないものばかりなので、僕に出来るのは日にちや種類別に分けて彼が見易いようにするだけだ。
しかし量が膨大でそれだけでも骨が折れた。整理をしながら僕は思わずため息を漏らす。
これを全て細部まで読み、理解し、問題を解決する為に指示を出す。そう思うだけで、僕はマルスに頭が下がった。

気が付けば日は傾きかけ、橙色の斜陽が窓から差し込んでいた。
そういえばと思い、窓から外を見たが流石に庭園には彼の姿はもうなかった。
戻ってきて書類仕事をこなす予定だったが、きっと何か急用でも出来たんだろう。別に珍しいことでもなかった。
マルス一人でこの国を動かしているわけではない。けれどマルスがいなければこの国は成り立たない。
王族という身分に課せられる、宿命とも言える責務の重さを思い知る。

コンコン。静かな部屋にノックが響き、僕は弾かれたように扉を見た。
「ど、どうぞ。」
反射的にその言葉を口にしていた。それでも扉は開かなかった。
そしてもう一度、コンコン。
「・・・?」
不思議に思って、扉に近寄ってドアノブを握る。
「あの、今王子は部屋にはおられませんが・・・
と言いかけたところで、何かがふわりと顔に触れる。甘い香り。
視線を定めるとそれは白い花だった。
「えっ・・・!」
「ロイ、お疲れ様。」
花の陰から覗いた顔は笑っていた。その手には白い花の花束。僕は呆気に取られていたが、自然と笑みがこぼれてきた。
「マルス!どうしたの、これ。」
「昼間、少し庭園にいたんだけどね、庭師に切ってもらって花束にしてもらった。君にあげようと思って。」
差し出されたそれは大きくはないが白く可愛らしい花がたくさん微笑んでいた。
その姿と、ふわりと香る春の香りに心が温かくなっていく。
「ありがとう、マルス。でもどうして僕に?」
そう言うと、花束からすっと一輪の花を抜き取り、それを僕の髪に挿した。
「君の赤い髪には白い花が似合うと思ってたんだ。やっぱりよく似合う。」
優しい笑顔。思わずドキリとしてしまうような。また頬が熱くなっていくのを感じた。
「ずっと・・・3年前、君に初めて会ったときから思っていたんだ。
 君にはきっと白い花が似合う。いつか君にそれを贈りたい。そう思ったときから庭に植えていた。
 この花を見るたび、春に咲く姿を見るたび、君を思い出していた。君の事を想いながら花の世話をした。」
マルスが・・・一国の王子が土いじりをするなんて・・・それも、僕の為に・・・。
そんな大変なものを貰って、どうしたらいいのか。何を返したら、なんとお礼を言ったら。
そんなことを頭の隅で考えながらも、僕は隠し切れない気持ちに気が付いてしまった。
それを、マルスが口にしてくれるかもしれないと期待しながら。
「ロイ、この花の花言葉を知ってる?」
マルスから目を逸らせないまま、僕は首を横に振った。

「君を愛しています。」

けれど、この言葉は聞いてはいけないと思っていた。何度も夢見たその言葉でも。

「・・・それ、本当?」
「・・・ごめん、嘘。これは僕が考えた。」
マルスは少し茶化すように言って見せた。小さく笑い合ってほっとしたが、それもつかの間。

「でもそれは僕の気持ち。」

夕日に照らされた彼の顔はほんのりと朱色をさしていた。

「君を愛してる。ロイ。」

聞きたくなかった。
聞きたかったけど、聞きたくなかった。
「それは、僕に、新しい勤めを言い渡すって事・・・?」
「え・・・?」
「僕はマルスの友人だと思ってたのに。対等な・・・おごりだったかも知れないけどそう思ってたのに。」
貴方は一国の王子。僕は一人の諸侯の息子。
素直に受け入れられず、こう思ってしまうのは普通のことだよね?
「僕は、やっぱり、マルスのこ・・こ・・小姓だったって・・・事なの?そんなの違うって信じてたのに・・・。」
「ロイ?違う、それは違う!」
逃げる僕を引きとめようと、ぶつかるように抱きしめられた。思わず落としてしまった花束から花が零れ落ちる。
もがいてもその腕から逃げることは叶わなかった。
「違う・・・?」
「あぁそうさ。僕は本当に君を愛してる。参ってしまうくらい君が好きだ。・・・あぁ!これ以上僕から何を望むんだ!」
柄にもないくらい真っ赤になった彼の顔を見て驚いた。
そしてだんだん事を冷静に理解しだして、僕の顔も負けず劣らずの具合に赤くなる。
「ロイ、君が嫌なら無理にとは言わない。でも、許してくれるなら・・・。」
顔が赤いのは夕日のせいにしておこう。言葉は頼りないから、ただそっと目を瞑る。
確かめるように触れ合う程度のキス。それを2、3度した後、舌が絡まった。
「んっ・・・!」
思わず噛んでしまいそうになる衝動を抑えてマルスの首に腕を回す。
マルスは僕の腰を抱いて、もう片方は頭を支えてくれている。触れ合う互いの身体にぞくりとする。
息苦しさやら、羞恥やらで思考は支配され溶けていく。足元もふらふらしだして、あとずさるうちにマルスの仕事机にぶつかった。
バサバサと書類が落ちる音がする。あぁ、折角整理したのに・・・。
それでもマルスは離してくれない。上半身をそらされ、耐え切れず机に倒れる。
頬に、目に、鼻の頭にキスをくれる。ようやく解放されて、荒れた息を整えようと顔を背けると、今度は耳に囁いてきた。
「今日は出来る仕事みんな終らせてきたんだ。」
初めて聞いた、甘くて低い声。背筋をぞくぞくとしたものが走る。
「・・・机の、上に・・・書類、残ってるけど・・・?」
「・・・・ないよ?そんなの。」
残ったスクロールを指で弾くと、ごとりと落ちる音がした。
不敵に笑った彼の顔を見て僕は思わず呆れてしまう。でも、僕の腕は自然とマルスを求めていた。
「明日、泣き言言っても・・・知らないから・・・ね・・・。」

これが三つ目の秘密。
僕達は恋をした。
決して許されない、報われない恋だった。



「おなかが空いたな。」
気が付けば夜は更けて10時前、あのままベッドになだれ込んで今に至る。
ずっと秘めていた想いが爆発したように欲になって、やり方もよく分からないままひたすら求め合った。
「ロイ、大丈夫?」
髪を梳きながらマルスが尋ねてきた。痛くなかったと言えば嘘になるし、息が詰まるほどの圧迫感に弱音も吐いた。
それなりに痛くて辛くて苦しかったけど、でも嬉しくて少し・・・気持ちよかった。
人は産まれてくるとき魂を半分にされるという。もう半分の人と惹かれ合い、結ばれる為に。
自分の魂の半分と重なり合えたとき・・・その至福の一端を垣間見た気がした。
僕の自惚れかもしれないから、そんなことマルスには言わないけど。
「うん、大丈夫だよ。」
「本当?結構泣いてたみたいだけど?」
「嬉し泣きだよ。」
からかう様に言われたからそう返してみせる。彼の手に自分の手を重ねる。
綺麗な手。長い指が僕の頬をくすぐった。こんなに綺麗な人の囁く甘い言葉が全て僕のもの。
まだ実感がわかない・・・マルスと好き合って、身体を・・重ねて・・・今こうしているなんて。
「ねぇ、ロイ。」
降ってきた呼びかけに、自然と閉じていた瞳を開ける。
窓から差し込む月の光を受けて、マルスの肌が一層に白く見えた。
「君が小姓だなんて・・・どこから出てきた話?誰かがそう言っていたの?」
「それは・・・。」
マルスの傍に僕がいることを気に入らない人は、皆そう言っていると思っていいだろう。
けれど思い当たる名前を口にする気にはなれなかった。争いの種になりそうで嫌だった。
僕はそのまま黙ったけどマルスには伝わってしまっていたようで、僕の心を見通すように言った。
「・・・好きに言わせておけばいいよ。君は、そんなじゃないから・・・。」
そう言われれば、他人の陰口とか、マルスの本心とか、一人で気にしていた事が全て吹っ飛んだ。
マルスのその言葉が、その一言が、魔法のように僕の心を安心させてくれた。
「・・・何か用意させよう。言いつけてくるよ。」
ベッドの上に散らばった衣服を手に取り、身に着けつつ言った。
「待って、僕が・・・。」
「いいから。」
あっという間に身支度を整えて、僕の髪をくしゃりと撫でて言った。
そして目にキスをして、スタスタと部屋を出て行ってしまった。
確かに今動くのは辛いけど・・・あぁ、一国の王子にこんなことをさせてしまって・・・。
懺悔したい気持ちに駆られながらも、重たい体と気だるさにまどろみながらマルスの帰りを待っていた。



北方に位置するこの国の春は短く、謳歌していた花々もそれを落とし葉ばかりになった。
代わりに庭園を飾るのはアジサイの花。雨を受けながらしずくを葉や花に湛えている。
それも一月半もすれば終わり、夏がやってくる。
爽やかな風と日差しを受けて山々や林が青々と映える。晴天に浮かぶ入道雲を見て、その訪れを知るのだ。
そうして季節は巡ってゆく。僕は働きが認められて、個人の役割を貰った。
マルスの手伝いをすることは前よりも減ったけど、それでも『暇さえあれば』その言葉が大げさでないほど、彼に会いにいった。
僕らは恋をし続けた。互いを想い続け、愛を囁いて、求めて。
誰にもいえない、いつ終わってしまうとも分からないこの恋に身を焦がして。

夏の終わり、馬を駆り、二人で近隣の丘を駆けた。
そこから城を見下ろす。斜陽を受けて橙に染まる城は美しかった。
静かな空間をひぐらしの声が彩り、僕らは何を言うでもなくただそうしていた。
幸せな時間のはずなのに、胸が締め付けられるような思いに駆られた。
昼間の事を思い出していたんだ。今日は近隣の国の姫が尋ねてきてマルスが一日相手をしていた。
とても綺麗な人で、二人で庭園を歩く姿はまるで絵のようだった。年頃の彼らには婚姻の話があがっている。
古いしきたりで、この国では婚姻の儀を上げ妃を貰わないと男児は王位を継げないとある。
マルスはいくらか強引に『まだ気持ちの整理がつかないから』などと言ってうやむやにしているが、それもそう長くはもたない。
来年・・・少なくとも二十歳前には身を固めなくてはならない。あまり人事ではないから内情も良く分かる。
だから僕は何も言わない。いつかマルスの口からその言葉を聞くまでは。それを急かすつもりもない。
けれど本当は僕から離れなければならないのだ。でも自分で出来ないから、彼にそれを押し付けている。
これでは僕も他の誰とも変わらない。自分の卑怯な部分を見つめなおしてしまった気がして、苦笑しか出なかった。
今こうして二人で馬を駆っているのも、きっと昼間の詫びのつもりなのだろうと思っていた。
彼のその心遣いにすら、僕は複雑な気持ちを抱いてしまうのだ。
「このまま逃げたいな。」
不意にマルスからその言葉を聞いたとき、僕は思わず
「うん・・・。」
と答えてしまった。マルスも予想外だったのだろう、驚いたような顔で僕を見た。
「ロイ・・・。」
「ごめん、馬鹿な事を言った。」
出来るはずもない。僕にも、マルスにも。
「そう思ってくれているだけで、僕は本当に嬉しいよ。」
マルスがそれ以上何も言わないように、そう付け加えて馬の腹を蹴った。
小気味よいひづめが大地を蹴る音と、少し冷たい風を受けながら城へ向かった。
マルスの視線が僕の背中に注がれているのを感じながらも、僕は振り向かなかった。

その夜、僕は自室にいた。マルスのように机に詰まれた書類に目を通す。
黒いインクで書かれた文字を追う内に目がぎゅうと詰まるような感覚に襲われた。
少し、目を閉じる。目が見えなくなった分、神経の配分が多くなった耳が小さな音を拾った。
誰かが歩いてくる。足音を聞きつけ扉に目をやると、程なくしてノックが響いた。
「ロイ?」
そう呼ぶ声も。僕は声の主をすぐに察して、足早に近付いて扉を開ける。
マルスが立っていた。いつもとは違い、黒と青のシックな装いだった。
「どうしたの?こんな時間に。」
「ちょっと、時間くれる?」
声を潜めて彼が言うので、自分まで思わず小声になってしまう。
黙って頷くと、彼は僕の手を取って歩き出した。
こんな時間に服を着替えて何をするつもりなんだろう。
城はしんと静まり返っている。日付が変わる前にはこの城はいつもこんな感じだった。
マルスは迷わずに歩いて、大きな扉を開けた。
そこは広々としたダンスホールだった。他国の要人や王侯貴族などを招き催し物を開くときに使われる部屋だ。
この夜更けに使われるはずもないのに明かりは点り、煌びやかな装飾のホールは輝いていた。
「ロイ、君は踊れる?」
「あ、あんまり・・・得意じゃないかな・・・。」
前に一度、人の足を踏んでから出来れば避けたいと思っていた。
「リードさせて。」
それでもマルスはそっと手を差し出してお辞儀をした。
僕は吸い寄せられるようにその手を取って、お辞儀を返す。
二人で同じ礼をする姿に、少し笑ってしまった。

マルスの足を踏んでしまうのではないかと、僕は心配だったがそれは杞憂に終った。
彼にリードされながらステップを踏むとそれは自然に身体に馴染み、最初は足元ばかり追っていた目線もマルスに返せるようになった。
ゆっくりと回る世界。刻むワルツのステップ。いつもとは違うマルスの姿に僕はすっかり魅せられていた。
音楽もない、二人きりのダンスホールなのにまるで夢のようで・・・。

踊り終えたあとも、僕達は言葉もなく立ち尽くし見つめ合っていた。
踊りながら彼の心の声を聞いた気がした。
愛している。大切に思っている。今自分に出来る精一杯の事でそう伝えてくれたのだ。
涙が出そうになって、僕はマルスの胸に顔をうずめた。その頭を撫でてくれる手は優しかった。



夜は更けていく。日に日に、それが長くなっている。
春と同じく束の間の夏も終わりを告げ、秋はもうすぐそこまで来ていた。



「ロイ殿。」
呼び止められ振り返ると、そこには初老の男性がいた。
彼はロイがここに来てからよくしてくれた臣下の一人で、ロイ自身も慕っている。
穏やかな人柄と深い知識で何か困った事があるとたびたび相談をしていた。
「これは・・・どうされました?そんな血相を変えて。」
「ロイ殿、貴方はもう危ない。」
普段の様子とはまるで違い、切羽詰ったかのような言い様にロイは驚いた。
自分が危ないというのはどういうことなのだろうか。
「・・・今まで隠しておりましたが、私は貴方と王子の事を知っているつもりでおります。
 その事について咎めるつもりはない・・・我々には出来ぬ事であるし、王子は数いる姫君より貴方を選んだ。
 貴方が王子の心の支えになっているのは真実です。しかし、もはやそれもここまで。」
「そう・・申されますと?」
駆け足でそう言われ、知られていた事実よりもその次の言葉が気に掛かったロイはそれを待った。
彼は乱れた呼吸を整えようと深くため息をついた。そして声を潜めて言った。
「貴方の存在を快く思わない者達の動きが活発になっております。その殆どが革新派。
 先王と王妃が崩御されて、王子の幼い頃からご意見番を気取りその地位を確立してきた者達は
 王子を意のままに操り、いずれはとって代わる事を狙っていた・・・。
 しかし貴方の出現で、マルス王子はその者達よりも貴方を頼るようになった。
 このまま行けば・・・ロイ殿、最悪の場合、貴方は殺される。」
「殺される・・・?」
一枚岩に見えるこの王国の忠臣たちにもそれなりの派閥と言うものがあって、いくつかが対立しているのは知っていた。
しかしその中心に自分がいるとは・・・。ロイの驚いた様子をみて、彼は心苦しそうに顔を顰めた。
「老いぼれに今のこの流れをどうにかする事は出来ませぬ。出来る事といえば、この事を貴方とマルス王子にご報告することだけ。
 共に王子の所へ行きましょう。王子には何か理由を作ってこの城の中ではない役所に貴方を移してもらいましょう。そうする他ない。」
「しかし・・・。」
「たまに会いに来ることは出来ます。しかし何かあってからでは遅いのですぞ!」
そうではない。この話をマルスにしたとき彼がどういう行動に出るかは、ロイには良く分かっていた。
「この事を話せば王子はきっと動いてくださる。けれど彼はそのやり方で済ませてはくれないでしょう。
 根本的な解決をする為に特権を行使するかもしれない・・・それは内紛を招きます。それこそ王家の危機です。」
「では貴方はどうされるおつもりか!」
問われ、ロイは黙る。覚悟を決めるときがきたのだと悟った。
「・・・僕の方から、マルスから離れます。彼は許さないかもしれない。引き止めようとするかもしれない。
 理由も勿論聞くでしょう。でも一切話さずにいるつもりです。そうすればいくらマルスでも良くは思わない。
 ・・・いつでも摘む事が出来たこの想い、ここまでためらっていたのは僕です。最後はこの程度の咎、受けなくては・・・。」
「ロイ殿・・・。」
そう言って彼は笑う。その笑顔には哀しさと諦めがあった。
「彼の王家と自分のこの想いなど、天秤にかけられるわけもありませんから。」
一礼をして、ロイはその場から去った。靡く赤い服は、マルスの部屋がある方へ消えていった。



「・・・この時が永遠に続けばいいと思う。」
そう言いながら、彼は今自分の体を抱きしめている。その姿はどこかすがる子どものようだった。
冷たい秋の雨が降る中に、暖炉の光に包まれたこの部屋がぽっかり浮かんでいるように辺りは静かだった。
永遠に続けば・・・。それが出来たら、どんなに幸せだろう。
ずっとマルスの傍にいられて、彼を支えて。
いつか彼が王座について、傍らにいるのが僕じゃなくても、その後ろから彼の王国を眺めていられたら・・・。
「それは駄目だよ。」
「どうして?」
本心であって、本心ではない想い。
「マルスには、この国の立派な王様になってもらわないと。」
「ひどいなぁ。」
身体を起こして見下ろしてくる彼に腕を伸ばす。頬を撫でると、彼が切なそうに目を細めた。

「マルスが王様になった姿を見たいんだよ。」
民衆の大歓声の中、笑顔で手を振る彼がいて

「それにはお妃様を貰わないといけないんだけど?」
その隣には、綺麗なお妃様がいて

「この国の唯一、正統なる王家の血筋を持つ王子・・・そのマルスも僕は大好きだよ。でもね。」
いつかマルスとお妃様の間に子どもがうまれて

「そんなマルスが王様になって治めるこの国は、きっと素晴らしい国になる。」
可愛い子だろう・・って、僕に抱かせて

「そう思うんだ。」
そのとき僕は

「だから・・・僕は」
殿下、お会いできて光栄ですって

「・・見たい。」
笑えるのだろうか。



あれだけ殊勝な事を言ってみせたくせに
今も彼にすがって顔を見せられないで涙を堪えている僕に。

別れ話の一つ、切り出せない僕に。




その時になって後悔するのに




最期の別れの時というのは、もっとおだやかにくるものだと思っていた
静かなところで、大切な人と惜しんで、悲しみながら

けれどそれは突然に僕の胸をついて


馬上から転落しながら、マルスの顔を見ていた
さっきまで笑顔で話していたのに
今は驚愕に顔をゆがめて

結んでいた手がほどけてゆく

あぁ、この言葉だけは最後まで言いたかった
この言葉だけは

「ロイッ!!」


背中をしたたかに打ち付けて息が止まる
マルスの声が聞こえる
何か叫ぶような声で

僕の名前を呼んでいる
身体がうごかない

マルスが僕の名前を呼んでいるのに
身体は動かない


あぁ、マルス、マルス



残された力を振り絞ってマルスの顔をみた
彼が僕の頭を支えてくれている
その手は震えていた

「マ・・・ル・・・・・ス・・・・・・。」

声になっていないような、頼りない声しか出ない
ちゃんとマルスに届いているだろうか

彼の顔は 驚いていた 悲しんでいた 怯えていた
そんな顔 させているのは僕だね ごめんね

これ以上、声は出ないから

こんなことしか、もう出来ないから


声が聞こえているうちに
姿が見えるうちに


マルスの頬にふれた

揺れる彼の青い瞳に 僕が映っていた

それが 僕の最期の記憶だった






ある嫡子の追憶




それから
僕の胸に刺さった矢には毒が仕込まれていたのも
僕が死んでからマルスが変わってしまったのも
僕を生き返らせる為にマルスは国を捨てて、人間の身体すら捨ててしまったのも僕は知っている
僕の魂は霊魂になって、ずっとマルスの傍にいたのだから

これが最後の秘密
僕のせいでこの国は滅んだ

僕がもっと早くマルスから離れていたら
僕がもっと注意していたら

マルスは今でも笑っていた
この国は続いていた
生きるため人を殺して血を啜る度、彼の胸が苛まれることもなかった
月下の魔王だなんて、自分の国の民だった人たちに恐れられることもなかった

今こうして、孤独に一人で泣いている彼を見る事もなかった

マルス、あぁ、マルス
もういいのに
もう十分なのに
そんなに思ってもらえただけで
僕は本当に幸せだったのに

この声は決して届かない