瞼を閉じると浮かんでくる情景。
豊かな緑に囲まれた我が城。庭に咲き誇る花は美しく光に包まれている。
これも相当に年季の入った記憶。古いフィルムの映画のようにやや色あせている。
しかしそこに立つ君だけは鮮明で鮮烈。真っ赤な服と髪が風になびいていた。
「−―。」
僕が名前を呼ぶと君は振り返った。
嬉しそうに、笑う。
「−――。」

幸せな『夢』。



「本当に今から行くの?」
「早い方がいいだろう。いつまた血を吸いだすかわからんからな。」
「だからって夜にいかなくても・・・。」
町長との話が終わり屋敷を出る頃には刻は夕暮れだった。
端から闇へと染まりつつある空を見上げて、ピットがぼやいた。
「夜なんかバンパイアの独壇場じゃないの・・・。」
後ろをついて歩きながらブツブツと言っている彼には目もくれず、アイクは城を目指した。
街を出ると両脇に杉の林が続く開けた道へ出た。ここを真っ直ぐいけば城に着けるらしい。
地面は荒れていた。もう何年、何十年、いや、何百年単位でここを馬車や馬が通っていない証だ。
悪魔の脅威に怯える街の人間がここを近付くとは思えない。通るとしたら廃城の財宝を狙う盗賊の輩か、例の討伐に雇われた者達だろう。
長く緩やかな坂道になっているそこを歩きながら、一体どれだけの人間が帰りもここを通れたのだろうと思った。


城門前へつくと二人は揃って城を見上げた。
かつて起こったといわれるクーデターの時に破壊されたのであろう門は地面に倒れゆがんでいる。
石造りの城はあちこちが崩れ、焼け焦げていた。破壊され、火をつけられた・・・民の怒りがいかほどだったかを伺える。
「・・・・・大丈夫か?」
ピットの顔色が優れないのを見てアイクは声を掛けた。彼は重く掠れた声で言った。
「・・・天使はさ、心の力に敏感なんだ。誰が好き合っているとか、いがみ合っているとか。
 ・・・・ここには・・色んな心の力が混沌としている。憎しみも悲しみも怒りも。もう1000年も前の事なのにここにはまだ・・・。」
「親玉の悪魔がまだいるからか?」
「・・・・・たぶん、そう。でも、なんだろう、これ。物凄い負の感情の中に強い・・・凄く強くて悲しい心の力を感じる。」
例の嫡子の事が関係しているのだろう。これ以上余計な事を考えさせるとピットが参ってしまいかねない。
「・・・やっぱりお前は宿で待っていた方が・・・。」
「・・・イヤだ。行く。」
アイクの言葉に応えるように彼の瞳に強い光が戻った。それ以上は何も言わずアイクは城の中へと入っていった。


城の中の荒れ方も酷かった。しかし造りは荘厳で、元の姿なら美しかった城だと伺えた。
崩れた壁から月の光が差し込んでいる。その光を頼りに歩を進め、辺りに神経を張りながら進んだ。
静かだった。静かすぎるほど。アイクにはそれが引っ掛かった。
「・・・おかしいな。」
「何が?」
ピットがアイクの顔をみると、眉間に皺を寄せて目線を流していた。
「それだけ強い悪魔がいれば、他にも中小の悪魔がここをねぐらにしていてもおかしくはないんだが・・・悪魔の気配がしない。」
光の届かない闇の吹き溜まりから悪魔に襲われることを警戒していたアイクには返ってそれが不気味だった。
「それって・・・。」
「話どおりならここの悪魔は元人間だ。他の悪魔を嫌い寄せ付けないようにしているか・・・・他の悪魔がここをねぐらにしない事にしているのかのどっちかだろうな。」
他の悪魔を寄せ付けない悪魔。他の悪魔が敬遠するほどの悪魔。
想像以上にまずいところかもしれない。アイクは右手で柄を握り、左手でピットの手を取って進んだ。

玉座の間の奥にある塔がこの城で一番高い塔だという。
そこのてっぺんで月を眺める王子の姿を見た者がいるという話だった。
ひたすらに続く螺旋階段を上りながら、アイクはヒシヒシと感じていた。
いる・・・この頂上にその悪魔が。ピットも感じているのだろう。険しい顔つきになっていた。
押し負かされそうなプレッシャーを跳ね返すように、アイクは強く石段を踏んでいった。

ようやく上り終えると、そこには鉄で出来た扉が一枚あった。
ドアノブを握り、ピットと頷きあうと、ゆっくりと開いた。
重く鈍い音をたてて開いた扉の奥には広い部屋があった。天井の半分ほどはくずれていて、月の光が差し込んでいる。
その月明かりが導くように照らすそこには、四本の柱に囲まれた黒い何かがあった。
アイクとピットはゆっくりとそこに近付いて目で確かめると、それは黒い棺だった。
「・・・この中に・・・。」
ぽそりとピットが呟いたが、アイクは答えなかった。右手を柄から離し棺に近づける。
その瞬間、先ほどの鉄の扉が大きな音を立てて閉まった。その衝撃に大気が振るえ、地響きすら覚えた。
二人はビタリと体を硬直させ、アイクはすぐさま剣を握った。
「扉が・・・勝手に・・・!?」
あの重い鉄の扉が勝手に閉まるとは思えない。アイクは気配を察し天井を見上げた。

「人の部屋に入るときはノックをすること。開けた扉は閉めること。小さい頃に教わらなかった?」

崩れた天井に腰掛ける人物がいた。黒と裏地は真紅のマントが風になびき、青い髪が月の光を受けて冷たい色を返している。
すっと切れる目は真っ赤な血の色だった。アイクを見定めるとそれを細め、そこから飛び降りた。
ゆっくりと落下し、音もなく地に降り立った。その姿と威圧感にアイクは粟はだが立つ。
同時に、やはりピットは連れてくるべきではなかったと後悔した。
強い。全身を駆け巡る嫌な予感と本能からくる危機信号にアイクは全身の神経を尖らせる。
「・・・男か。男の血は好きじゃないんだけどな。女性の方が血も美味いし、肌も柔らかい。」
くすりと笑いその悪魔は一歩一歩二人に近付いてくる。そしてピットを見ると、ついと片眉を上げた。
「・・・天使?」
ギクリ、とピットの体が硬直する。その様に悪魔はにやりと笑った。
「こんなところに天使か。天使の血肉は美味いと聞く。君は僕に食べられる為に来たのかな?」
「ピット、下がっていろ!」
ピットを後方に突き飛ばすと、アイクはラグネルを抜いた。
「・・・それは。」
悪魔の顔から笑みが消えた。しかし至って冷静に、余裕すら見て取れる。
「神剣ラグネルだ!この剣の前には悪魔は無力なんだぞ!」
ピットが柱の裏に隠れながら叫んだ。アイクは一瞬のことも見逃すまいと悪魔を凝視している。
天使、神剣を携えた剣士。冷たかった悪魔の表情がふっと緩んだように見えた。
アイクはそれに一瞬目を疑ったが、またすぐさま威圧感と厳格さを持った様子に戻った。
「確かに。その剣の光の前では僕の体は霧になることは出来ない。斬られれば深手を負うだろう。」
そう言ってのける声は涼やかだ。まるでなんでもないことのように。
しばしの沈黙の後、悪魔が口を開いた。
「・・・頼みがある。あと三日、待ってくれないか。」
「何・・・。」
予想だにしない言葉にアイクは顔を険しくし悪魔を見た。
青白い顔は冷たく、どこか悲しそうに。赤い目は手元を見ていた。
その時初めて、その者が大事そうに抱えるものに気が付いた。
赤い布だ。かろうじて色が分かるほど、ぼろぼろで色あせた布だった。
「三日後に、大事な用がある。それまで待って欲しい。」
「・・・そんなこと言って、その間に街の人の血を吸いに行くんじゃないの!」
アイクが聞く前にピットが聞いた。それは当然の疑問だと思っていたのだろう。すぐに答えが返ってきた。
「僕はここを動く気はないよ。夜はずっとここで月を眺めるし、昼はそこの棺で眠っている。ずっと監視してくれていても構わない。誰の血も吸わないことを誓おう。」
シンとした部屋に静かに響く声。強いまなざしがアイクを見据えていた。
重い沈黙が続いていた。お互いはお互いのまなざしで会話しているのだ。
「・・・・わかった。」
「アイク!?」
「だが少しでもおかしな真似をすれば・・・。」
「分かっている。僕が寝ている間にそこの棺ごと叩き斬ってくれて構わないよ。」
畳み掛けるように言い終わると、再び部屋に沈黙が戻った。ピットは二人を見比べて戸惑った表情をしていた。
・・・ありがとう。
かすかな声でそう言ったように聞こえた。悪魔はふわっと宙に浮かび、また天井の上へと戻っていった。
「アイク!逃げられるんじゃ!?」
「・・・大丈夫だろう。気になるなら見て来い。」
「でっ・・・!」
アイクは棺の傍の柱を背に座り込むと、ラグネルを抱えて悪魔を見上げた。背のマントが風になびいていた。
動く様子のないアイクにピットは「あぁもう!」とこぼすと、翼をはためかせ空を舞った。
同じく天井の上に飛び乗ると後方から悪魔を見つめた。悪魔は微動だにせず、ただ月を眺めていた。
風の音だけが鳴るその空気に堪えられず、ピットが口を開いた。
「・・・ねぇ。」
悪魔は答えない。だが聞いてはいるようだった。
「教えてよ。なんで悪魔になったの。人間だったんでしょ。」
人として生を受けて、悪魔になることを自ら望むなんてよっぽどのことだ。
負の心の力に弱いピットがこんなに強い悪魔の所に、アイクの制止を振り切ってまで来たのは、ピットが天使だからだ。
嘆く魂の声が聞こえる。ピットにはそれが堪えられなかった。
アイクが斬って退治することになっても、理由を聞かなければ納得できなかった。
「・・・君は天使。僕にとっては死神。天使と死神の違いなんて、見る人の心の在り様だ。」
ポツリとつぶやかれた言葉の意味が分からなくて、ピットは首を傾げる。
悪魔は少しだけピットの方に首を向けると顎で促した。
「夜は長い。暇つぶしに話してあげよう。寒いだろう、もう少しこちらへおいで。」
甘く優しい声色に、ピットは逆に警戒心を新たにする。じりじりと距離を詰め、1メートルほど離れたところに座った。
まぁ仕方ないか。という様にため息をついて、悪魔は話し始めた。

「僕の名はマルス。人間だった頃、そう呼ばれていた。」
夜空を見上げ、懐かしむように目を細める。風が優しく青い髪を撫でていた。
彩る星は互いに答えあうように瞬いている。ぽっかりと浮かんだ月は冷たい色だが、その光も心なしか彼をいたわるように見えた。
はたと何かに気が付いたようにマルスはピットを見た。
「街の者からは何か聞いてる?僕のこと。」
「・・・だいたいの事は。」
この人がこの城の主だったこと。仲の良い領家の嫡子がいたこと。その人が事故で亡くなってからおかしくなったこと。
「事故、ねぇ・・・。」
呟かれた言葉は風と共に夜闇に溶けていく。解せない様子でピットが聞いた。
「・・・違うの?」
「・・・順を追って話そう。まずは彼のこと・・・嫡子の話。」
ピットは黙って彼を見ていた。

「彼の名前はロイ。この王国で王家に仕え属する領家の息子。僕の唯一無二の友人であり・・・最愛の人。」
自分の膝に頬杖をついて空を見る。想いに耽る顔はその人の事を思い出しているのだろう。優しくて切なげだった。
「さいあい・・・?」
「愛していたのさ。僕は彼のことを。彼も僕のことを愛してくれた。僕達は互いに惹かれあい、求め合った。
 他の姫には目もくれなかった。仕方なく相手をすることはあっても、心の中にはいつでも彼がいた。」
マルスがちらりと流し目をくれてやると、ピットは難しそうな顔をしていた。
「おっさん達は仲のいい友人だったって・・・。」
「傍からは悟られないようにはしていたしね。実際には友人以上だったの存在だったってことさ。人の目を盗んで秘め事をしていたくらい。」
「秘め事って?」
そう問われ、マルスは思わず黙り込んだ。

「・・・っおう・・じっ」
組み敷いた体がシーツの上でくねり自分の欲を誘う。彼は無意識でしているのだからタチが悪い。
「二人きりの時くらいは・・・名前で呼んでって言ってるじゃないか。」
「んっ・・マルス・・・。」
閉ざされた自室に響くのは時計の音と、衣擦れの音、そして厭らしい水音に互いの声。
唇をふさいでそれを堪能した後、ゆっくりと離すと息を荒げた彼がこちらを見ていた。
「・・・昼間から元気だね。」
「政務の合間に君が折角きてくれたんだ。何もしないのはもったいないだろう。」
そう言うと、彼は困ったように笑う。彼が尋ねてくると大体こうなる。
お互いにどこかでそれを期待しているし、いざ体が絡み合えば一分一秒も惜しいというように燃え上がる。
「・・・君の前にいるときくらいは・・・甘えさせてよ、ロイ。」
細い体を抱きしめると、まるで幼い子を宥めるように彼の手が僕の頭を撫でた。

「・・・ねぇ?」
その一言で現世に引き戻されたマルスは、ピットの顔を見て苦笑した。
「・・・まぁ、人には言えないようなイタズラとかだよ。」
遠からずも近からずの答えに「ふぅん・・・。」とピットは呟いた。
要領を得ないような顔をしたいたが、マルスは構わず続けた。
「大切だったのさ。誰よりも、大事な存在だった。僕たちが一緒になれることはない。判ってはいたけど離れられなかった。」
自分の口からでた言葉に、否・・・と呟くと、マルスの瞳に悲しみが映る。
「どこかで信じていたのかもしれない。思い込んでいたのかもしれない。きっと幸せになれる。そんなものはいくらでも僕の手で変えられるって・・・。」

あの日までは・・・。


あの日。狩猟を催したあの日。
王侯貴族のたしなみだからといって参加せざるを得ないが、僕もロイも狩猟は好きじゃなかった。
馬に乗った人や狩猟犬が数人がかりで、食べもしない狐なんかを追い回して、追い詰めて、最後には・・・。

秋晴れの空は寒々しいほど青く、高かった。響き渡った獣の断末魔に人々の歓声が上がる。
その様子が見渡せる少し高い丘の上で、馬に跨った僕の元へ騎士が獲物を持ってきた。
跪いてそれを高らかに掲げてみせる。ぐったりとした狐は口から舌をだらんとたらし、流れた血が足元の草を汚した。
「・・・見事だった。」
一言そういってやると、騎士は畏まって下がる。拍手や歓声が上がる中、赤い色が目の端に映ったので「次の狩りを。」と言って人払いをさせた。
「・・・大丈夫?」
白い馬に乗ったロイがゆっくりとこちらに近付いてきてそう尋ねた。
彼を見ると思わず顔が緩んでしまう。彼には僕の心をほぐす力があるようだ。
「もういい加減慣れたよ。君こそ大丈夫なの?」
「僕も・・・慣れたよ。ここにいるなら、慣れないとね。」
届く範囲にまで寄り添った彼の頬にそっと手を伸ばす。
彼は少し驚いたような顔をして身を竦める。
「ダメだ、今は。」
「少し触れるだけなら何もおかしくないだろう。わかりはしないよ。」
戸惑いがちに伏せられた瞳。指で触れればその目がこちらを見た。
「・・・忘れないで。貴方はこの国の王。僕は数ある大名諸侯のうちの一人の息子。こうして傍にいること自体、不自然なんだよ。本当は。」
「・・・分かっているよ。でもいつか、覆してあげるから。」
僕の言葉に彼は目を細めて笑う。その顔は嬉しさと切なさが混同した、胸に響く笑顔だった。
頬から手を離し、今度は彼の手を取る。白い指を撫でてぎゅっと握る。
「僕は諦めてない。少しも。諦めは悪い方なんだ、知ってるでしょ?絶対に君を放さない。」
僕の言葉に君は目を見開いて、泣きそうな顔で笑った。潤んだ空色の瞳が美しかった。
「・・嬉しい、よ。ありが


耳のすぐ横を掠めた風の音。
君の首の下に突き立った一本の矢。

ゆっくり、ゆっくりと彼の体が倒れていく。


――――ッ!!

言葉にならなかった。
放さないと誓ったはずの指が、するりとほどけて行った。



「ロイッ!!」
馬上から転落した彼は草の海に沈んだ。
頭が真っ白になって僕も転げるように馬から下りた。
ピクリとも動かない彼に駆け寄ってその体を抱える。首元の白いクラヴァットが血に染まっていった。
「ロイ!!ロイ!!嘘だ・・ロイッ!!!」
体からだらりと下がった手足と首。必死に揺さぶって、狂ったように名前を叫んだ。
「・・・・・・・・・っ」
重たそうに彼が首を持ち上げた。咄嗟に手でそれを支えると、彼はその瞳に僕を映した。
「マ・・・ル・・・・・ス・・・・・・。」

震える手で、僕の頬に触れた。
消え入るような声が、僕の名前を呼んだ。


二人きりのときは。




閉ざされた瞳が開くことは、もうなかった。








そこまで話して、マルスは一度黙った。
ピットにもかける言葉はそう簡単に見つからなかった。話しながらマルスの気持ちをひしひしと感じていた。
激しい悲しみ、覆せない絶望、その中にある哀しいほど強い愛。
この城に入ったときから感じていた記憶の激情の正体を知る。
ピットのような天使には毒な程の人間の本質的な心の力がそこにはあった。
「・・・その、矢は・・・。」
つまりながらもピットは切り出した。押しつぶされそうなその力に抗うべく。
「貴方を狙った矢だと聞いた。風で狙いがそれたのか、ロイが貴方をかばったのか、それは分からないけど、王子暗殺を企てるものの仕業だって・・・。」
マルスは黙っていた。強い悲しみに支配されていた心に徐々に怒りと憎しみが混じっていくのをピットは感じ、思わず身を強張らせる。
「・・・ここからは怖い話だ。大丈夫かい?」
子供を揶揄するような言い草に、ピットは恐怖に負けじと顔を顰めて頷いた。

「犯人はすぐに見つけさせたよ。君の言ったとおり、僕の暗殺を試みて誤って狙いがそれたのだと言っていた。」


けれど僕は納得できなかった。その者は騎士だった。騎士が一人で王子暗殺を企てるなどとは到底思えない。
拷問に拷問を重ねて吐かせたのは自分にそれを命じたという大名の名前だった。その者はわが国の古い重臣であった。
仕える主君に命じられ仕方なくやったのだという弁明や弁解の声も上がったが、だからそれがどうしたと言うのだ。
一国の王の命を狙ったのだ。それくらい当然だろう。
「これ以上の異を唱える者は国賊とみなし同様の刑に処す。これ以上、僕を怒らせるな。」
僕はその騎士を斬首の上、城下町で晒し首にした。その後、すぐさま騎士の口から聞いた大名を捕らえた。

地下の牢獄、拷問部屋で大の字に磔にした大名がいた。
死なぬ程度に拷問をしておけと命じておいた通り、焼き鏝によって無数の火傷を負い、皮膚はただれ、部屋には悪臭が充満していた。
気絶しているその者の顔に水をぶちまけ起こさせると、僕の顔をみて彼は喉の奥から悲鳴を上げた。
涼しい顔をして近付いて見せれば、恐怖と畏れをもって瞳に僕の顔を映しながら呻いていた。
「・・・僕の暗殺を企てた者にしては覚悟が足りていないようだ。この程度で楽になれると思うな?」
拷問用の血にさびた剣を口先に突っ込み咥えさせると、歯と刃をガチガチと鳴らしながら掠れる声で叫んだ。
「違います!王子!わたくしは、わたくしは、王子の命を狙ったのではないのです!!」
吐いたセリフに眉間に皺を寄せる。その様子を見て哀れにも怯えきった様子で駆け足に言葉をつむいだ。
「あ、あれは・・・王子に近付き王子の心を惑わせたあの男を殺すための計画だったのです!
 一大名の息子程度が王子の目にかけられるなど・・・どの様な手を使ったのかは分かりませんが、この国にとって害でしかありません!!王子の目をお覚ましすべく、わたくしは・・・。」
男の口から出た言葉に僕は衝撃を受けた。湧き上がってくるどす黒い感情のまま叫んだ。
「なら何故騎士に王子暗殺と言わせた!答えてみろ!!」
剣を更に深く差し入れ口の天井につくかつかないか程度のところでとめた。
「あ、あの者お暗殺とひえば王子は決して許ひゃなかっかでしょう・・・。ご自ひんの暗殺計画とひれば身を引きひめられお心も新たにひていただけるかと・・・。」
馬鹿な。
そんなことのために・・・。
自分の険しかった顔が緩むのが分かった。そして笑顔になっていくのも。
「・・・君は僕とこの国のためを思って、自らの手は汚さないまでも悪役を買って出ようとしたってわけかい?」
「ひょ、ひょのとおりでございあす・・・。王子、わたくひは・・・。」
安堵したように男の顔がゆがんでいった。僕は笑顔のまま男を見ていたが、心が急激に冷えていくのを感じた。
「・・・クソ食らえだッ!」
汚い言葉を吐いて差し込んだ剣を、そのまま横へ薙いだ。男の右の頬が口内から裂け、血と悲鳴が沸きおこる。
人のものとは思えない醜い断末魔を聞きながら剣を投げ捨て拷問官を呼んだ。
「もうあいつの言うことは一切聞きたくない。舌を切り落としておけ。あと半年は死なないように拷問して、それから殺せ。」
重い鉄の扉をくぐりその場を去った。その扉越しにも悲鳴は聞こえ続けた。

眩暈がした。その断末魔のせいではない。男の口から出た言葉にだ。
僕の為に、僕のせいで、そんな事のために君は死んだのか・・・!!

よろけてもたれかかった壁を思い切り殴りつけた。手に感じる鈍い痛み。それよりも辛い心の痛み。
全身をバラバラに引き裂かれるような言葉に出来ない感情が僕の息を止めた。
苦しさにうずくまる。搾り出した声で君の名前を呼んだ。

「ロイ・・・。」


助けてくれ。
苦しすぎて、堪えられない・・・。



そこまで話して、マルスは黙って聞いているピットを見た。彼は青い顔をしていた。
ふいにマルスが立ち上がると、ピットはビクリと身震いし、彼を見上げた。
吹き抜ける風で真紅はなびき背には夜空に浮かぶ冷たい月を背負っている。見下ろしている顔には表情が無かった。
「僕が怖くなった?」
「違っ・・・そうじゃ・・・。」
「嘘だね、怯えているよ。」
長い足がピットとの距離を詰める。腰が抜けてしまったように立ち上がれない彼はただマルスのその姿を目に映しているだけだった。
伸びてきた右手に逃げることも出来ずにピットは捕らえられる。そしてそのまま右脇に抱えられた。
「はっ放せっ!」
マルスは黙ったまま飛び上がった。

下で話の一部始終を聞いていたアイクだが、様子が変わったことに気付き立ち上がった。
月明かりが射す天井からマルスがゆっくりと降りてきた。抱えたピットをアイクに突き出すと苦笑しながら小馬鹿にしたように言った。
「この子にはまだ早すぎる話だったみたいだ。人の心に宛てられておかしくなる前に休ませてあげなよ。」
押し付けられた天使は少し震えていた。マルスはそれ以上何も言わずに、また上へともどって行った。

「・・・アイク。」
床に座らせ、彼のコートを掛け布団のようにしてやると、押し黙っていた彼が口を開いた。
「あの人、斬るの?」
「・・・そのつもりだが。」
ピットの目は泳いでいた。話を聞く前とは明らかに態度が違う。伺うようにアイクを見ながら言った。
「あの人、可哀想だ。あの人だけじゃない。自分が哀しくて辛すぎて気が付けていない。」
「・・・何に?」
「あの人のまわりにいる暖かい光。あの人を心配するようにずっと傍にいる。多分ずっと前から・・・。
 僕が話したところでマルスは信じてくれない。なんとか、救ってあげられる方法はないのかな・・。」
アイクは黙って見上げた。マルスはただじっと月を眺め風を受けていた。
「・・・俺に出来る事は限られている。知ってるだろう。」
三日後のマルスの用事というのを見守ったら、依頼どおりに斬る。それが自分に出来る精一杯のことだ。
もしも奇跡が起きるとしたら、一体何をしてくれるのだろうか。
「もう寝ろ。」
短く言って、アイクはまたマルスを監視する体勢に戻った。


月が沈み空が白んでくる頃にマルスは降りてきた。アイクに一瞥をくれると棺のふたを開いた。
「夜通しご苦労さんだね。僕は夜まで寝るから、君も少しは寝た方がいいよ。」
白々しいことを口にして、マルスは棺の中に消えていった。ピットはとっくに寝息を立てていて、彼は一人取り残された。
それから二時間ほど監視していたが、マルスが出てくる気配はなかった。
今、あの時彼自身が言ったように、このラグネルで棺ごと叩き割れば退治は完了する。
しばらく黙り込んだまま考えた後、アイクは目を瞑った。
律儀に守らなければならないほどしっかりした約束でもなかった。守らなければならないほどの友情が互いにあったわけでもなかった。
それでもアイクにはそうする気が起きなかった。
自分の甘さをかみ締めながら、彼の意識は急速に落ちていった。
アイクはその日、家族の夢を見た。